asiyutaの日記

知識・経験・思考のまとめ

日暮キノコ先生の「個人差あり〼」を読んで、LGBTQについて考えさせられた

こんにちは、asiyutaです。

先日、日暮キノコ先生の「個人差あり〼」という漫画を読みました。日暮先生の漫画は「喰う寝るふたり 住むふたり」の頃から大ファンで、たまたまtwitter?の広告で「個人差あり〼」を認知してお試し版を読んだのですが、一気に引き込まれて、深夜にもかかわらずkindleで全巻買って一気読みしてしまいました。

そして、一気読みした後、物語に圧倒されて「凄い」以外の感想が出てこなくなりました。凄いものと出会ったのに、凄いものを説明できないもどかしさ。モヤモヤしたため、その後繰り返し読み直し、ようやく最近少し言語化できるようになってきました。

一言でいうと「性的少数者の世界の切り取り方・描き方が凄い」ということになりそうなのですが、しっかり書き残しておきたいので、本日はブログにまとめてみようと思います。

「個人差あり〼」を読んで、同じように感動した方々が、本記事を読んでさらに余韻に浸れれば幸いです。

 

 

 

★★(以下ネタバレあり)

 

1.主なあらすじとasiyuta解釈

①昌の異性化

あらすじ:主人公は、100均メーカーの商品企画で働く平凡サラリーマンの磯森昌と、その妻で小説家の苑子。物語はまず、昌が「異性化」という体質になり、女性になってしまうところからスタート。

 

②昌と雪平パート 「身体的な性」について

あらすじ:昌は女性になるが、家族・職場・友人に暖かく受け入れられ、なんとか仕事を続ける。男性には分からない女性あるある(セクハラ、痴漢、化粧、満員電車 etc)を経験しつつ日々を過ごす中で、職場の先輩の雪平に恋し、雪平との出張の折、事故的に不倫してしまう。

解釈:このパートでは、異性化した昌視点から、男・女の性差の現実がテンポよく描かれていた。男性には分からないけど、女性ってだけで、こんな大変なことに遭遇しているんだよ、と。また、物語の後半で描かれるが、雪平はいたって普通の人間で、昌の身体的な性別に左右され、態度がコロコロ変わる。こんな存在の雪平を出すことで、昌の身体的な性をより浮かび上がらせていたのでは、と思う。

 

③不倫での異性化リバース

あらすじ:昌は、雪平との出張不倫の翌朝、男性に戻る(リバース)。リバースにより苑子・昌の子供に関する対話が進み、子作りすることに。しかしながら、セックスが異性化の原因ではとの仮説に行き当たり、再リバースの恐怖から昌は迂闊に子作りできない状態に。そんな中、近所のドラッグストアの店員で異性化者の横山(男→女)に、異性化リバースがバレ、話は次の展開に。

 

④昌と横山パート 「性自認」と「周囲の環境」について

あらすじ:横山は、高校生の時に異性化していた。学校内で居場所を無くし、恋人にも振られ、家族からも受け入れられず、逃げるように家出し、ガールズバー等で日銭を稼ぎながらなんとか生活をしつつ、男性に戻る方法を探していた。そんな中リバースした昌と出会い、「セックスが異性化の原因」との仮説に悩む昌に対し、自分とセックスするよう迫る。

解釈:このパートでは、昌と横山の対比がキレイに描かれていた。異性化後に男性に恋をして女性っぽくなっていく昌と、異性化後も心は男性であり続けた横山。異性化後周囲から暖かく受け入れられた昌と、周囲から受け入れられず居場所を失った横山。この対比によって、体と「心」の性の不一致の論点や、性的少数者の社会への受け入れられ方の問題について、描かれていた。

 

⑤昌の再リバース

あらすじ苑子のために、と昌は横山とセックスして、横山だけ男性に戻るという結果に。安心した昌は、苑子との子作りを再開するが、苑子とのセックス後、再度女性に戻ってしまう。苑子にセックスが異性化の原因であることがバレ、苑子は家を出ていく。ここから、主人公が苑子に切り替わっていく。

 

苑子とスミレさんパート 「性表現」と「自己・他者との向き合い方」について

あらすじ:家を出た苑子には昌と別れる意思はなく、男性・女性と変化する昌との向き合い方に悩んでいた。編集者のススメから女装男子のいるバーに通い、そこで女装男子のスミレに出会う。スミレと交友を深める中で、自分が凝り固まった物の見方をしていたことに気づき、あるがままに物事と向き合えるようになっていく。

解釈:ここでは、スミレさんを通して「見た目の性」という論点を描いている。体も心も男性だが、女装に目覚めたスミレさん。また、女装子の世界を描くことで、「体」「心」に加えて「見た目」にも性別があることを浮き彫りにしている。

また、スミレさんと交友し、変化する苑子を通して、固定観念に縛られず、ニュートラルに自己・他者に向き合う方法を提案している。おそらく、これが日暮先生が考える理想的な人付き合いというものなのだと思う。

 

苑子とカオルパート 「性的指向」について

あらすじ:スミレさんとの交友により、常識にとらわれず考えられるようになった苑子は、昌の性欲をどう満たしてあげればよいかを考えるようになり、レズ風俗の扉を開く。風俗嬢のカオルと関係を重ねることで、昌のもとに戻る準備を整えていく。

解釈:ここでは、カオルとの関係を通して、「体」「心」「見た目」に加え、「どの性別に性愛が向くのか」という論点を浮き上がらせている。そして、セックスとは「男女は関係なく、需要と供給が本能レベルでかみ合えば、性別を超えて成立するもの」という1つの答えを提示している。

 

⑧昌と苑子パート 「性的少数者の子作り」について

あらすじ:昌との向かい合い方を決めた苑子は、昌のもとへ戻る。そして二人はセックスし、昌は結局男には戻れず、女性として生きていく決意をする。昌は子供を諦めきれず、自分が子供を産む提案を苑子にし、エピローグで妊娠した昌が描かれる。

解釈:物語を通して、子作りについて色々な登場人物が述べている。そして、最終的に物語は、昌・苑子夫妻の子作りにより閉じられている。これは、性的少数者カップルの中で、子作りがどうしようもない壁として立ちはだかるからではないか、と考える。そして、それを乗り越えた昌・苑子夫妻の関係性こそ、1つの答えなのだと提示しているのだと思う。

 

2.結局、何が凄いと感じたのか

物語のメインストーリーは、昌と苑子の夫婦の成長物語である。ギクシャクした夫婦関係から始まり、異性化をきっかけに互いが(特に苑子が)成長し、性別を超えて相手を愛せる関係に成長していく。その過程をテンポよく、ハラハラドキドキさせながら描いている。

しかし、そのストーリーの中には、性的少数者の問題が綿密に設計されて配置されている。各キャラクターに役割を持たせ、無駄なく活躍させ、しかしながら性的少数者の話が前面に出ず説教臭くならないように、物語が構成されている。ストーリー自体が面白いから、自分事に苦なく置き換えて考えられる。

この、単に面白かったでは終わらない、設計された物語の深み、を凄いと感じたのだと思う。最初読んだときは、設計が見えなかったため、凄い以上の言語が出てこなかったのだと思う。

 

3.性的少数者について考えを深めてみた

物語を例にとって、性的少数者について少し考えてみた。

 

①嫁が男になったら、愛せるのか?

家族としては関係を続けられると思う。だけど、苑子のように性愛の対象として見れるか、というとできなさそう(想像がつかない)。苑子は凄いわ。

 

②親友が仮に女性になったら、恋する可能性はあるか?

気心知れた友人が、めっちゃ可愛い女性になって、どうやら心も女性に変わって、こちらに気がある素振りをしている、という状況を考えると、間違いは全然ありそう…と思った。でも、同時に男に求めるコミュニケーションと、女性に求めるコミュニケーションが全然違いそう、とも感じた。相手を見る目って、身体的性別にかなり引っ張られることを感じた。

 

ニュートラルに相手に接する、って現実的にできるのか?

漫画では、身体的性別に影響を受けて態度が変わってしまう雪平に対して、昌が「ニュートラルに接してよ!」と怒りを向ける場面が描かれていたが、それって超難しいよね、と思った。

実際、自分の男性に対する態度と、女性に対する態度は異なっていると思う。そうすることが染み込んでしまっている気がする。でも、それによって知らず知らずのうちに相手を傷つけている可能性があるということなので、改める努力が必要だなと。

常識に縛られず、相手のあるがままをまずは見るところから、かな。。。

 

④自分の性自認はいつ認識した?

思春期に好きな異性ができた頃に自認したかな…と思う。

 

⑤子供にどう教育する?

子どもが成長するなかで、どう教育していけばよいのだろうか。

まずは、性別には色んなレイヤーがあること。そして、3~10%はLGBTQの人がいること、を説明するだろうか。そして、男だから、とか、女だから、とか関係なく、決めつけずに、しっかり相手を見て接しなさい、と言うだろうか。

でも、女の子には優しくしなさい、とか言ってしまいそうな気がする。マジョリティーに向けた作法を学ぶ方が効率がいいから。

マジョリティーに対する姿勢を伝えつつ、マイノリティの存在を示し、接し方の応用編を伝えるようなイメージか。ムズイ。

 

★★

読書感想文的な文章を書くのがすごく苦手なのですが、思わず書いてしまうほど良い漫画でした。日暮先生、本当に良い漫画を描きはるわ。充実した時間を過ごせて感謝。

ではまた!